INICIAR SESIÓNセオドアの脳裏に、かつての戦争の終結と、ヴェルナ家の暗い所業が蘇る。
アルフォンス=ヴェルナは、辺境の鉱脈に沿って張り巡らされた坑道地図を、ドラグナに渡す見返りとして、隣領マンスールの鉄鉱山の奪取を画策していた。
莫大な利益を約束し、小領主たちを巧みに誘い、侵略の口実を作り出した張本人――それが彼だった。
強欲で狡猾なヴェルナ一族は、領民に重税を課し、鉱山資源を密かにドラグナへと売りさばいていた。
その収益の裏で領内は疲弊し、民は沈黙を強いられた。
調べを進めるほど、長年にわたる彼らの背信の痕跡が浮かび上がった。
特にアルフォンスは、あらゆる資産を国外へと移し、ザルバニアが敗れた暁にはドラグナの国民として生き延びる準備まで整えていた。
まさに、用意周到という他なかった。
そして――不正を見過ごし、手の回らぬ土地を小領主たちに委ね、放置してきたのは、セオドアの父や祖父たち、かつての辺境侯爵家の当主たちである。
「この鉱山には、もう資源など残っていない。だから
セオドアの脳裏に、かつての戦争の終結と、ヴェルナ家の暗い所業が蘇る。アルフォンス=ヴェルナは、辺境の鉱脈に沿って張り巡らされた坑道地図を、ドラグナに渡す見返りとして、隣領マンスールの鉄鉱山の奪取を画策していた。莫大な利益を約束し、小領主たちを巧みに誘い、侵略の口実を作り出した張本人――それが彼だった。強欲で狡猾なヴェルナ一族は、領民に重税を課し、鉱山資源を密かにドラグナへと売りさばいていた。その収益の裏で領内は疲弊し、民は沈黙を強いられた。調べを進めるほど、長年にわたる彼らの背信の痕跡が浮かび上がった。特にアルフォンスは、あらゆる資産を国外へと移し、ザルバニアが敗れた暁にはドラグナの国民として生き延びる準備まで整えていた。まさに、用意周到という他なかった。そして――不正を見過ごし、手の回らぬ土地を小領主たちに委ね、放置してきたのは、セオドアの父や祖父たち、かつての辺境侯爵家の当主たちである。「この鉱山には、もう資源など残っていない。だからこそ、侵入口になることを危惧して坑道を潰した。少なくとも、この坑道を通ってドラグナ兵が侵入することはありえないはずだ」エリクが眉をひそめ、思考を巡らせる。セオドアもまた、地図をじっと見つめながら口を開いた。「かつての戦で、ドラグナがなぜアルフォンスに踊らされたのか。その裏側を正しく把握している者は、我々を含めごくわずかだ」彼の言葉に、部屋の空気が静かに張りつめる。「ドラグナの上層部ですら、アルフォンスがなぜあの鉱山の利益を分けようと持ち掛けたのか、本当の理由を知らなかったはずだ。もし、当時彼に騙された小領主たちが聞いた話を、今もなお信じている者がいるとしたら……」「まさか。そんな馬鹿な……」エリクが、ありえないというように半分笑いを含んだ顔を上げたが、セオドアの真剣な表情を目にした途端、思わず言葉をこぼす。「嘘だろ……」「まずは、裏切者に真実を見せてやる必要がありますね」エンリオが重たげな息を吐きながら、眉間を深く寄せた。「そう
雪が深まりはじめ、城の中でできる仕事も、調理場の近くや暖炉の前に限られてきた。豊穣祭に向けた腰紐づくりは、せっかくのことだからと、今年は使用人たち皆と一緒に、暖炉を焚いた会議室で集まって行うことにした。「奥さま、それ……旦那さまのベストに糸を足しているんですか?」大きいお腹で隣で腰紐に刺繍を入れていたメイアの姉イレーネが、ローティシアの手元を覗き込みながら声をかける。「ええ。去年はまだよく分かっていなくて、なんとなく春らしい色で仕上げたのだけれど。豊穣祭の花輪って、必ず麦の青い穂が入っていたでしょう? だから、今年はその色も加えようと思って」黄色と赤で彩った昨年のベストに、緑の糸で麦の穂の形を丁寧に縫い足していく。「去年の豊穣祭は、本当に驚きました。まさか旦那さまが出店をまわられるなんて」イレーネの言葉に、周囲の女中たちがいっせいに頷いた。「奥さまがおいでになってから、旦那さま、すごく柔らかい表情をなさるようになって。正直、それまでは近寄りがたい印象だったんです。ご自身にも周囲にも厳しいお方ですし」そう言って笑ったのは、イレーネの隣にいたジョゼット。「ダンスのとき、旦那さまの手に触れていいのかって……実は、ちょっとドキドキしました」最年少のエルミナが、はにかんだように笑うと、イレーネが小声で「こら」と脇腹をつついている。――気を遣わなくても大丈夫。私だって、あのときすごくドキドキしたから。「本当に、旦那さまと奥さまって、お似合いのご夫婦ですよね。憧れます」メイアが、刺繍を見つめながら、やわらかく笑った。「でも、メイアもブランドンと仲がいいでしょう?そろそろ結婚するんじゃない?」ジョゼットの問いに、メイアがぴくりと手元を震わせ、針で指を刺してしまった。「もう長いでしょ? 子どものころから知ってる仲だし、恋人になって……7年? 8年?」「ジョゼット、やめてよ。私のことはいいの」痛む指をくわえながら、メイアは必死で話をそらそうとしている。「よくないわよ
山の向こうは、ここよりも遥かに厳しい寒さにさらされているにちがいない。セオドアはその地で、兵を率い、身を挺して国と民を守っている。そのことを、誇らしく感じるとともに、では、彼はいったい誰に守ってもらうのだろう、とも思う。誰よりも強くあろうとする彼にも、疲れて、寒さに震える夜はあるはずだ。山の稜線が雪で霞むたび、彼の手が冷たくなっていないか、頬が乾いて荒れていないか――そんなことばかりが頭をよぎる。いつぞやメイアにその思いをこぼすと、「閣下はお強いですから、そんな心配はいりませんよ」と笑って返された。わかっている。十分すぎるほど、彼が強いことは。でも、だからこそ……気にかけずにはいられなかった。「旦那さまからは、冬の間、奥さまには帝都の別邸でお過ごしいただくのが良いかと、そう申しつかっております。準備もすでに整えさせていただいております」ドーバンの話に、彼が国境へ出る前にしていた話を思い出した。「……帝都へ行った方がいいかしら」そう小さく言って、ローティシアは口をつぐんだ。目の前のドーバンに尋ねるのは、何か違う気がした。“どうして私はいつも、人に決めてもらおうとしてしまうのだろう。どうしたいかなんて、本当はもう決まっているのに”握りしめた手の甲を見つめた後、はっきりとドーバンに告げる。「いいえ……行かないわ。ここで旦那さまを待ちたいの」ドーバンの表情が、わずかに引き攣る。「承知いたしました、奥さま」その一言に、胸の奥がふっと軽くなる。――彼が戻ったときに、笑顔で「おかえりなさい」と迎えよう。私には、国や民を守るような大きなことはできないかもしれない。けれど、寒い国境から帰る彼に、あたたかな部屋と穏やかな時間を用意することならできる。私を……私たちを守るために身を挺してくれる彼の為に、せめて彼が安らげる場所を作って待っていたい。少なくとも私がここに居られる限りは。ドーバンの後姿を見送って、メイアに話しか
◇◇◇男は深くフードを被り、目の前を通り過ぎていく軍馬の列を暗い目で見つめた。まさか、こんなに早く動き始めるとは思っていなかった。先の戦争から3年。首謀者だったヴェルナや中心となった者たちは刑に処され、その一族も罰を受けてカリモンの浮島へ投獄された。だから、例のことを知る者は私以外にいない。せっかくドラグナを利用して目くらましをしていたのに。やはり、野蛮で頭の悪い奴らは役に立たんな。辺境侯爵は鼻も利くし、動きも早い。下手をすれば気づかれる。とにかくボロが出る前にさっさと持ち出さなくては。あれは、私のモノなんだ。誰にも渡すものか。◇◇◇「閣下、報せです」第一駐屯地から馬を飛ばしてきた准将が、中間地点にある国境要塞の執務室で管理官に報告を受けていたセオドアのもとへ入ってくる。「どうした」セオドアが顔を上げると、准将は荒い息を整えながら報告を始めた。「第一駐屯地の北東、鉱山地帯の奥にて、ドラグナ兵と見られる集団の移動が確認されました。偵察隊によれば、規模は三百を超えるとのことです」「……鉱山の奥、か。国境線ギリギリを動いているということか」セオドアの目が鋭くなる。眉間に深く刻まれる皺が、部屋にいる者たちに緊張を走らせた。「まだ動きは慎重で、砦へは直接向かわず、山中で野営しているようです。コリオールの獣の報告によると一見農夫のような恰好をしながら、その下は武装であることは明らかだと」エリクが、すでに傍らに立ち、地図を広げている。「このルート……地図にはもうありませんが、おそらく遥か昔に使われていた山道につながっていますね。森が深いですし、かなり荒れて簡単には通れないでしょうが……」「国境線ギリギリに峰を動いているとしたら、少しずつ分散しながら侵入することも可能だろう」「……その通りです」「こちらが気づいていることを悟らせるな。今のまま偵察隊を忍ばせて慎重に山狩りを続けろ」セオドアは椅子から立ち上がり、背筋を伸ばす。その姿に、部屋の空気が変わる。「駐屯地本隊の方で軍を整えろ。まずは第一・第二駐屯地の防備を固めておけ。もし、集団で敵が動くなら、本格的な侵攻の兆しだ」そして、ようやく息を整え終えた准将の方を向くと、いくつかの用紙に書き付けをして封蝋を落とし手渡した。「ブランドン。これをアングスに渡せ。もし、向こうが大きく動いた
「今回の国境巡回は少し長くなる予定だ」と晩餐の席でセオドアから告げられた。いつもなら彼と行動を共にする副官たちは、数日前の会議を最後に一足早く辺境へと向かった。「雪が降りだす前までには帰って来るつもりだが、状況に寄っては数か月先、寒さが緩む頃までかかるかもしれない。城のことはドーバンがいるから心配はいらない。もし退屈なら……冬の間は、帝都の別邸へ行くといい」食事をしていた手が止まる。彼が私を気遣ってくれていることは、痛いほどわかる。でも、まるで、自分にはこの城を守るだけの力はないから、と言われているように感じてしまう。日々、つまらない事を考えすぎてすっかり気持ちがひねくれてしまった。甘やかされて図々しくなっている自分がいるのだ。再び手を動かしながら、微笑んで短く返事をした。「はい、わかりました」セオドアが、そんな自分を少し見つめた後、何か発しようとして止め、再び口をつぐんだのがわかった。彼は、いつもすぐに気づいてしまう。私がほんの少しだけ、心の内を飲み込んだことさえも。先日の夜会でエンリオを含む副官の方たちや駐屯地の管理官たちが口々に言っていた。『彼は実に情に厚い』と。そう、その通りなのだ。彼の予定通り、私が辺境の跡取りを産むことができれば、きっとずっと大事にしてくれるだろう。優しく情に厚い彼のことだ。夫婦としての愛情がそこには育つに違いない。私はいったいそれの何が不満なのだろう。なぜこんなにうじうじとしているのだろう。いつものように食事を終えて、二人で回廊を部屋へと向かう。窓の外から虫の声が聞こえる。その声に惹かれるように窓の外を見ると噴水の近くから小さな光がいくつも登っては、吹き消されるように消えていく。「あぁ、火虫だな。噴水を直して水場ができたから戻ってきたのだろう。見に行ってみるか?」セオドアに誘われて中庭に向かう。火虫。神ザグリオンの化身と言われ、飛ぶ姿が火の粉が舞うように見えるのでそう呼ばれる。臆病な虫なので人気の少ない静かな田舎の清流でしか見られない。帝都ではもう見ることのできない虫だ。飛びながら、チリチリ、パチパチ、と小さな声で鳴く。「あまり近くに寄ると逃げてしまうから、この辺りで見てみようか」そう言われて噴水の近くの四阿のベンチに腰掛けた。メイアがショールを持って来て「今宵はこれで下がることにいたします
マクシミリアン=コリオールは、帝国北辺、フェアファックス辺境領の最北端を治めるコリオール子爵家の嫡男として生をうけた。父、ロドリク=コリオールは、「名高き戦士」と称され、剛毅無双の騎士として知られた。北方騎馬民族との戦争において、敵騎を悉く討ち倒したその戦功で、帝都においても伝説として語られたほどである。さらに、その報賞として、帝都で一目惚れした侯爵令嬢を皇帝に望んだというのは、いまだに有名な話だ。エレオノーラは、皇室の血脈にも連なる名門ヘルバンテス侯爵家の娘だった。輝く金糸の髪と、帝国の象徴とも言うべき蒼き瞳を持つその容貌は、まさに帝都貴族社会の華と言われていた。「田舎騎士ごときが、なんと身の程知らずな望みを」と貴族たちは嘲笑し、彼女の両親もまた「北方小貴族が娘を望むなど、我が家に対する侮辱に等しい」と憤怒した。しかし、当のエレオノーラは、冷然と「政略のために嫁ぐくらいなら、愛してくれる男のもとへいく方がよほど良いに決まっているわ」と告げ、皇帝の後ろ盾を得て、両親の怒りなどものともせず、ほとんど身一つで北へと嫁いだ。かくして生まれたマクシミリアンは、子煩悩で剛胆な父と、豪放磊落なる母、そしておおらかな家臣らに囲まれ、天真爛漫に育った。成長するにつれ、母譲りの金髪と蒼い瞳は、さながら絵巻物の王子のような風貌を醸し出した。しかしその実、彼は、馬と剣と強い男にしか興味を示さない、野生児そのものだった。学問に至っては壊滅的で、ついには10歳の時に家庭教師が匙を投げ、母親に帝都の貴族学校に放り込まれる羽目となった。故郷が好きすぎるがゆえに、帝都へ向かう馬車の中で、泣き喚き、騒ぎ立て、休憩のたびに逃げ出さぬように鎖で繋がれていた姿は、今も使用人たちに語り継がれている。帝都で、彼が最初に心を通わせたのは、名門クローネンバーグ家の嫡子ランバートであった。身分の違いなど、マクシミリアンにとっては些末事。馬と剣を語れる相手こそ、何よりも尊き友であった。そのランバートが、様子を見に来た母に手を引かれる5歳の妹を見て、「僕は、いずれ君と家族になるよ」と言い出した際にも、マクシミリアンは豪快に肩を組み、「おう、ランバート、お前はもう家族みたいなもんだ!」と笑って答えたのである。以来、ランバートは母と結託







